寫了上篇博文後又一次不得不想這個問題。We are the champions 為什麼不能說成 We are champions ?至少在我看來這裡的 the 不是必須的,可是作為英語卻必須這樣說,於是查找了一下資料,但並沒有十分滿意的解釋。
也許英語學好之後,尤其是對歐美文化歷史的認識加深之後自然會懂,可是現實是每次拾起英語時都立刻在這裡受挫。從某種角度來說,日語與漢語之間的差異要大過英語與漢語之間,但是回想最初,日語中似乎沒有如英語的冠詞般令我難以理解至近乎抓狂的元素。
有一種說法是:
英語の元となる「古英語」が、少数民族の一方言に過ぎなかった時代に、文法としての語順が定まっておらず、冠詞がないと、文章として意味が通じなかったからです。
【定冠詞】起源が非常に古いです。5世紀にユトランド半島付近からゲルマン族のアングロ、サクソン、ジュートの3部族がブリテン島に侵入しました。当時ブリテン島に住んでいたケルト人は3部族により征服されます。
「イングランド」という地名はAngla+land(アングロ人の土地)が語源です。アングロ人の言語が英語の原型にあたる言葉で、いわゆる「古英語」です。
古英語は現代英語にはない比較すると、名詞の性も存在し、格変化もありました。現代英語では定冠詞はtheの一種類のみですが、古英語では18種類もありました。
古英語を見ると、定冠詞 “the” と全く同じ用法の物が見当たりません。“se” と þone という二つの語がありますが、これが “the” の代用をしています。現代英語では “the” ひとつで用が足りていますが、古英語では使い分けをしています。つまり、主格(何かをする主体)の名詞には “se” 、目的格(対象となる)の名詞には þone が付くようです。
また、古英語は語順が、現代英語ほど厳しく制限を受けてはいません。日本語のように、「私はどら焼きが好きです」と言おうが、「私は好きです どら焼きが」でも通じるという例えをするとわかりやすいと思います。
語順の自由さゆえに、名詞や定冠詞、さらには形容詞にいたるまで、格の形が決まっていないと文章が通じないという事になります。
大意是說,古英語的語序很自由,如果不用冠詞便難以準確表達句子的意思,所以古英語中有十八種定冠詞。但沒有等同於 the 的特定詞彙,代替它的是 se 和 þone 兩個,前者用於主格名詞之前,後者用於賓格名詞之前。
似乎很有道理但並不能讓人信服,這更像是在解釋日語為什麼會有助詞。因為冠詞並不是用於表示所修飾詞彙的格,而是指示「定不定」。
還有一種說法是:
日本語会話の中で、指示代名詞を名詞の前に必ずしもつけなくて良いので冠詞が発達しませんでした。
世界の言語のうち、冠詞を持つのは主にインド・ヨーロッパ語族やセム語派で、実は冠詞を持たない言語の方が多いのです・・。ちなみにロシア語・中国語にも冠詞は存在しません。
この質問はむしろ、なぜ英語に冠詞があるのかを問うべきかもしれません。
視点をある一点に絞り、そこから世界を描く、というのは、「遠近法」のような言語体系が冠詞をもつ言語の大きな特徴と思います。自分という視点から見た「それ」「あれ」など指示代名詞が名詞と結合する頻度が高くなったので、それが冠詞の起源になったのです。
ラテン語の場合、(ille「あれ、あの」、ipse「それ自身」)。不定冠詞は数詞である unus から来ています。
就是說,從自己的角度看世界時,「這個」、「那個」等指示代詞與名詞結合的頻度便增多起來,遂成為了定冠詞的起源。
有點意思,是否可以理解為,洪荒時代的盎格魯人先祖們比較富於辯證精神,看著甚麼東西都要申明「是這個不是那個」,「是我的不是你的」?
這些種解釋都告訴我說,定冠詞是古老語言習慣的殘餘。當然啦,不是這樣就怪了,只是這並不能解釋現代英語中冠詞存在的必然性。就像開頭舉的例子這種,是我這個英語知道點但始終沒能入淂了門的初學者多年的疑惑。「我們是這個冠軍?」廢話,零八年就這一屆歐錦賽,不是這個是哪個?對於初學英語的中國人來說,我想解釋明白這一點非常重要,遺憾的是以互聯網之大中日文網頁之多,竟找不到有說服力的解釋。
看著這張冠詞分佈圖(引自維基百科相關條目),可以肯定的是冠詞之於擁有它的語言來說具有很大的意義,不然不會在如此多的語言中佔據一席之地。這個疑惑看來還需要時日才能解開。
██ 不定冠詞與定冠詞██ 定冠詞██ 不定冠詞與後置定冠詞██ 後置定冠詞██ 無冠詞